禅寂之美
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中国浙江省に位置する一大文化都市杭州より朱麒雲君が初めて高野山に登られたのは二〇一二年一月のことである。唐突に密教を学びたいとの意向であったが、すでに数年前より中国で学べる知識は学んだ上での覚悟であったと理解している。

早速その年四月に無量光院道場において得度、下座行を続けつつ、六月には円通律寺において受戒。更には同年九月より十一月にかけて真言行者必修の四度加行中、‘十八道’‘金剛界’を修法。翌二〇一三年には引き続き‘胎蔵界’と‘護摩’の秘法を春秋にそれぞれ修められ、金胎両部の伝法灌頂に入壇されたのである。

伝法阿闍梨となった懐雲師が、異国への求法の道がどれほど試練に満ちたものであり、それを如何に克服したのか、経験に基づき執筆されたのが本書である。

異国への求法ということを思えば、今から千二百年前に遣唐使の随員として入唐した弘法大師空海という青年僧の勝妙なる才能と並々ならぬ密教への渇望を見抜かれたのは、密教第七祖であられた長安青龍寺の恵果和尚であった。法身大日如来の説かれた深遠なる秘法を写瓶相承し‘三代の国師’と仰がれた不空三蔵。その師より印度伝来の密教の奥義を継承されたこの恵果和尚が予見されたが如く、その後密教は唐土から足跡を絶えることになる。