1.3 モチベーション理論
人間はなぜ働くかという問いにあたって、古典経済学的人間観に立ったリカードの「経済人」の考えは人間が働くのが人間のうちに潜む「無限の営利欲」によるためであった。そのような経済人という考えは経済学の分析のために仮定されたものである。しかしながら、現実の人間の管理を行う場合もそのような人間観に立ち、人事管理では賃金をどのような形で与えたら最も効果的なのかに関する研究が多く行われた。人間は誘因としての賃金を求めようとして働くものであるという考えに立って効果的な賃金の支払方法として、タウン(Towne, H.R.)の分益制度、ハルシー(Halsey, F.A.)の割増賃金制度、ローワン(Rowan, J.)の可変分配率制度などがあったが、いずれも賃金を誘因として考えていた。ところが、more money → more outputsという仮定に基づいた理論は単純な人間機械観に成り立ったものに過ぎない。今日の人事管理においてその意義は完全に失っているわけではないにもかかわらず、ホーソン実験で明らかになったのは「現実の人間は、けっして経済的動機だけで行動するものではない」というのである。これに対して、人間関係管理の一分野であるモチベーション(動機付けとも言う)の理論が数多くの成果をあげ、現代人的資源管理においてそれらの研究に基づき有効なインセンティブとしての管理施策が追求されている。
モチベーションとは目標達成に向かう働く人間の努力水準を決める意志ないし心理的プロセスである。つまり、要求→動因→誘因(目標)の過程のすべてをさしてモチベーションという。企業においては、働く人が強制によって仕事をさせられるより、自発的に働くほうが最も効果的であると考えられる。自発的仕事は動機付けられた行動である。自発的に働くのは働く人にいろいろな要求があり、要求から生じた動因とその要求を満足させる誘因との関係によるのである。働く人は「経済人」の単純な経済的動機だけで働くのではなく、人それぞれ欲求をもって働くのである。
マズローの欲求段階説においては、人間には①生理的欲求、②安全性の欲求、③社会性の欲求、④自尊性の欲求、⑤自己実現の欲求という五つの欲求があり、これらの欲求には一定の順序があるという。つまり,人間はまず一番下層の生理的欲求を満たすように行動して、これが満たされると次の安全性の欲求を満たすように行動するという最後の自己実現の欲求に至るまで段階的に実現させるプロセスが続くと仮定されている。
マズローの欲求段階説に基づき働く人の欲求を明らかにする研究は、数多く存在する。例えば、正戸の調査で明らかになったものであるが、低賃金労働者のモチベーションは「生活類型」「生活要望」であるとし、賃金、就業の確保ということに強く動機付けられており、高賃金労働者のモチベーションは「精神的要望」という段階に上昇し、「技術指導」、「作業上の意見」などを強くほしがっていたという。
また、表1-1のようにマイヤー(Maier, N.R.F.)は職場によって従業員の要望が違うという調査もあった。さらに労務管理研究会では、働く人の労働意欲をまとめて誘因としての人事管理方策を図1-2のように示してみる。
表1-1 異なった職場の従業員の要望事項の順位表(マイヤー)
出所:村井“動機付けと人間観の心理学”61頁。
図1-2 労働者の意欲の構造
動機付け理論として重要な地位を占めるもう一つの理論はマグレガーによって唱えたX理論とY理論である。マグレガーはこれまでの人事管理論や経営者の経営理論に見られる伝統的人間観をX理論と名づけて、一方、働く人の自由な能力の発揮、創意工夫への期待が結局企業を繁栄させ、同時に個々働く人の生きがいにも通じるのだという人間観をY理論と名づけていた。マグレガーはX理論に対して、新しい人間観にたつY理論を提唱した。つまり、働く人は統制によって仕事に打ち込まれるべきではなく、目標に向かって自発的に立ち向かせるべきものだと考えられる。それゆえ、働く人の欲求を尊重する新しい人間観にたつ管理こそ有効的であろう。マグレガーのY理論にたつ管理手法として目標管理制度があげられる。
ハーツバーグは実証的研究をもとにして動機付け―衛生理論を提唱した。ハーツバーグは、働く人が満足を感じる要因を動機付け要因とし、不満を感じる要因を衛生要因と呼んだ。表1-2のように、彼の調査では、満足要因に関わるのは仕事の内容、その達成、その結果に対する承認など働く人の心理に関わるものが多く、不満要因に関わるのは会社の政策、監督など職場環境に関わるものが多く見られた。動機付け―衛生理論によれば、働く人のモチベーションを高めるには、賃金が多いというようなことによるべきでなく、仕事そのものに働く人自身を生かすことができるかどうかによるべきであると考えてもいい。無論、その理論によって給料を衛生要因にすれば、まず給料には働く人を満足させなければならないと考えられる。ところが、ハーズバーグの二要因理論は衛生要因と動機付け要因の区分が曖昧であるという指摘があり、給料の額が自己の有能感の知覚、将来性に影響をするものなら、給料は衛生要因であるとは言えないという批判であった。
表1-2 ハーズバーグの二要因
動機づけ理論としてはさらにERG理論、達成動機理論、目標設定理論、公平理論と期待理論が挙げられるが、賃金管理に関係があると思う理論として、公平理論と期待理論についても説明しておこう。
アダムズ(Adams)の公平理論は現在の自分と比較可能な人間と比べた場合に生じる不公平感により行動が喚起されるという考えである。交換関係に成り立つ企業と働く人の関係は従業員から見ると、自分がインプットを提供することと企業から報酬を受け取ることである。表1-3で見られるとおり、公平感を左右する要素は多様である。そして、比較対象となる人間、比較時の状況が公平感か、それとも不公平感が生じるのに影響する。例えば、同じ貢献でありながら同僚より報酬が低く与えられたと思った場合、その働く人には不公平感が生じる。不公平感をなくすため、自分の貢献を低下させたりするようなモチベーションを損なう行動が喚起されると考えられる。
表1-3 公平感ないし不公平感を左右する要素
期待理論では人間の行動の強さに影響を与えるのは期待と誘発性である。ある行動が結果をもたらす期待とその結果の誘発性をかけ行動の強さが決まるというが、期待と誘発性の両方が高い場合、人間の行動は最も強まると考えられる。ポーターとローラー·モデル(表1-4)では働く人の行動を説明するのに、期待を、働く人の行動が業績をあげるという期待と、その業績が企業から報酬をもたらすという期待の二つに分けて考えた。働く人の行動の強さを決定するのに複数の次元の二種類の期待が総合的に影響を与えると定式化された。これによって、働く人のモチベーションを高める方法としては、従業員の能力を高める訓練をしたりして業績をあげる期待を高める手法と、組織の報酬システムを改善したりするような報酬をもたらす期待を高める方法が考えられる。
表1-4 ポーター&ローラーの期待理論モデル